「生きやすさ」って?
誰しもカラダには凹凸があります。
「普通車」みたいな人もいれば
「F1」や「戦車」みたいな人もいる。
「普通車」はメンテナンスも少ないし、
走れる道も多いけど、
最高速度もそこそこ。
「F1」は最高速度は速いけど、
頻繁なメンテナンスが必要。
「戦車」はものすごく頑丈だけど
活躍出来る場所が限られてる。
そんな感じでみんな凹凸がある。
本当はそこに「良し悪し」はないけど、
ややこしいのは凹凸のどこを「良し」
とするかは時代によって変わるところだと思うんです。
今の「社会」は長らく
「普通車」みたいに様々な環境に適応出来る人を
「良し」とする「価値観」にあると思います。
だから、
「軽自動車」の人も
「F1」の人も
「戦車」の人も
みんな「普通車のフリ」をして社会に合わせて生きてきた。
カラダには許容量があるから
その分は「フリ」も出来るけど
凹凸がキツければキツいほど
その「フリ」がキツいから
無理をする。
たまに自分の凹凸にきっちり合ったフィールドで
自分の凹凸を生かし切って快適に爆走してる人にも会うけど
それはそれで“走り過ぎる”
どちらにせよ、カラダは悲鳴を上げやすい笑
そんな時、「施術」は
カラダを最適化して
許容量を底上げするサポートになるから
本当に便利だと考えています。
ただ、それが結果的に
「生きやすさ」に繋がるかどうかは
施術者側とクライアント側の“スタンス”が大きく関わると思います。
というのも、「施術」は便利な反面
「やり方」に走ると
凹凸に解釈をつけ、
「不安」や「不足感」を煽る道具にもなる
と考えているからです。
個人的に
「生きやすさ」と「凹凸を埋める」
は全く別物だと思います。
「生きやすさ」とは
他人と凹凸を比べて「ないものねだり」したり
それを埋めようとして
許容量を超えながら無理して生きることではなく、
自分の凹凸を知り、
出来るだけ自分の得意なフィールドで
許容量の範囲で爆走することだと思います。
「施術」はクライアントさんの
凹凸の解釈から「不安」を煽るものにもなれば
更に快適に爆走するためのツールにもなる。
これには「施術家」のスタンスが大切で
自分の「不安」や「不足感」を埋めるために施術したら、
それに共鳴したクライアントさんが来られるし、
逆に自分とクライアントさんの「ありのまま」を受け入れて
ベストな状態で走るサポートがしたい施術家には
それに共鳴したクライアントさんが来られると思っています。
どちらが「良い」とかではないけど、
個人的には後者が好きです。
だから、ホロソフィー®︎では
「やり方」だけでなく
「カラダとは?」
「健康とは?」
「イノチとは?」
という答えのないところを絶えず考える「哲学」を大切にしながら、
技術を磨き上げることに重点を置いています。
先日は福岡でベーシック講座の第4回目を行いました。
ここではホロソフィーが大切にしている哲学をシェアしてみんなで考えました。
生きやすくなるサポートができるホロソファーが全国各地にいることを目指して
僕も精進したいと思います。
みんなお疲れ様でした。
