無価値観の正体
僕はこの世に
「価値のあるもの」
しか存在していないと思います。
でも、誰もが生まれ育ってくる過程で
必要に迫られて培われる
「思考パターン」があって
きっとそれは
各々のコミュニティの中で
勝手に「役割」を認識して
その場を「円滑」に行かすために
「本質の自分」を押し殺して
「我慢」「無理な同調」「遠慮」
などの結果
「偽りの自分」
が誕生することになって
その時の「円滑」という“成功体験”は
「こうあるべき」という
新たな「思考パターン」になって
「偽りの自分」=「自分」
という誤解を生んで
「本質の自分」を出すと
“嫌われる”“無価値”
という更なる誤解を生んで
最初は「良かれ」と思って押し殺した
「本質の自分」
はいつしか絶対「封印」しないといけないものになって
でも、「本質の自分」で生きてる人を見ると
僻んだり
妬んだり
表面的に真似してから回ったりして
過去の“成功体験”は
「失敗してはいけない」
という更なる誤解を生んで
「偽りの自分」を「肯定」するために
「防衛」用のセンサーばっかり敏感になって
ちょっとでも「こうあるべき」に反すると
批判したり
攻撃したりして
その“成功体験”は
一瞬の安心をくれるけど、
実は根っこではずっと「不安」だから
本当は「安心」なんか訪れたことなくて
今の自分が「偽りの自分」
であることすら忘れて
誰かへの攻撃は
全て「本質の自分」への攻撃で
ちょっとしたことで
「深刻」になって
実はその「深刻」すら「防衛」で
実は誰よりも傷ついていて
これ以上、傷つきたくないけど
もはやどうしたら良いのかわからないことが
起きてるパターンって多いと思うんです。
きっと、それの唯一の解決は
封印を解いて
「本質の自分」
をさらけ出すことだと思うんです。
それは、今まで出すと
「嫌われる」「無価値」
という誤解から封印してきたから
それを見ることすら怖くて
さらけ出すことなんか
想像も出来ないくらい怖いけど
きっと「自分と向き合う」って
そういうことだと思うんです。
それをするにはカラダに許容量が
あった方がしやすいと思うから
僕は「施術」をツールとして使いますが
それも含め
まずは「本質の自分」を安心して出せる「場」
だったり、準備って物凄く大切だと思っています。
最近、クライアントさんとも
仲間内でも、このテーマで喋ることが多く
ホロソファーの関わりが
「本質の自分」を気付けるきっかけになったり、
ホロソフィーがその「場」に
繋がったら嬉しいなと思いつつ
てことは、誰よりも僕らが
「本質の自分」を見ることが大事だと思い
「怖ぇー!」
が僕も本音なんですが笑
その先に本当の「安心」があると信じて
これからも自分やカラダと向き合っていこうと気づけばこんな長文を書いてました笑
長文・乱文読んでいただきありがとうございます。


