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感覚と思考のバランス

僕らは「施術」を生業にしています。


この「施術」において、

頼りになるのは自分の「感覚」。


ただ、この「感覚」というものはどこまでも不明確で、

言葉で言い表すことも、

数値化することも出来ません。


だから、少しでも「感覚」を明確にしたくて、

再現性を高めたくて、

施術家は「感覚」を「思考」に落とし込むという作業をします。


でも、実はこれ諸刃の剣です。


というのも、これをした途端に作業効率も、精度も一気に落ちるからです。


例えば、普段「感覚」で行ってる

「歯磨き」

を「思考」に落とし込んでみると

①歯ブラシの柄の部分を持つ

②反対の手で歯磨き粉を持つ

③歯磨き粉の蓋を開け、蓋と反対側を握り、歯磨き粉を出す。

④出した歯磨き粉を歯ブラシのブラシの部分につける

・・・・

とめちゃくちゃ面倒なことがわかります。


そのため、「感覚」でしていることを

「思考」に落とし込むと一気に作業効率も、精度も落ちる。


でも、それをすることで

やることが一時的に明確になったり、

再現性が高まったり、

わからなくなった時に立ち帰れたりする。


だから、この作業が無駄な訳ではないと個人的には思っています。


では、落ちた作業効率と精度を高めるにはどうしたら良いのか?


これ、僕は「習慣化」しかないと思っています。


「歯磨き」もきっと最初は

「感覚」でやり、

「思考」に落とし込み、

それにより一旦作業効率が落ちるけど、

それが「習慣化」されることで

「思考」が出る余地がなくなり、

結果、「感覚」で行われる。

そんな流れなんじゃないかな?

と思っています。


ただ、「施術」が「歯磨き」と違うのは

「相手がいるということ」

です。


そもそも身体は十人十色な上に、

相手の状態、

施術する相手との関係性、

その時の状況、

自分のスタンスなど

「本来、施術には全く関係ないこと」

も僕らの頭には「思考」として湧いてきてしまいます。


それは時に、

「感覚」を遮るほど主張してきて、

一生懸命やろうとすればするほど

「あれ?普段、どうやってやってたっけ?」

と「感覚」がわからなくなってしまうこともしばしば。


そんな時、「習慣化」されていればされているほど

「思考」が静かになっていき、

いつも通りの「感覚」に戻る。

ただ、どれだけ「習慣化」していても

ずーっと「思考」は湧いてくる。


どんな施術家もきっと多かれ少なかれ

この「感覚」と「思考」に向き合っていて、

そのバランスを取る過程で「練度」が磨かれ、

その最終的な「表現」として「施術」が起こるんだと思います。


一昨日はスタンダード講座の最終日で試験でした。


僕はこの試験というものが必ずしも正解だとは思っていません。


ただ、練習では湧いて来ない「感覚」を遮るほどの「思考」が出やすく、

それは1番調子が出ない時に似た環境での施術に近く、

その環境で表現される施術は

現在の「練度」や「課題」が浮き彫りになることが多いです。


なので、練習ではわからない諸々が客観的にわかりやすいので、

それをお伝えして、

それを指標にまた「感覚」と「思考」のバランスを取りながら「習慣化」し

「練度」を高める。


そんな積み重ねをしていると

施術中に「思考」が湧いてきても流されにくくなって、

息を吸って吐くように施術が起きることが増えてくる。


そんなホロソファー®︎を沢山見て来たので、

今もこの仕組みを採用しております。

それにしても当日は全員が全員、

自分なりに一生懸命カラダと向き合って来たんだってことが伝わってきて

施術仲間として、こんなに嬉しいことはないなと思っていました。


ただ、施術は試験ではなく、

帰ってクライアントさんにやって初効果を発揮します。


10ヶ月の講座が終わり、

定期的にこのメンバーに会えなくなるのは寂しいけど、

きっとこれからみんなはこの技術で多くの人の笑顔に出会えるだろうし、

そこで感じたことをまた持ち寄って喋ったら、

きっとまた違う刺激をお互いもらえると思うので、

それを楽しみに一度講座を結ばせていただきました。


みんな本当にお疲れ様でした。


そして、これからもよろしくねー。

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